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Michael Kanekoインタビュー 前編

2019.06.27

デビューよりも先に日本はもとより、海外のフェスに多数出演。そして、AmPmをはじめ様々なアーティストの楽曲に参加するとともに、TOYOTAやPanasonic、NISSANなど誰もが耳にしたことがあるCM曲を数多く手掛け、自ら歌い、大きな話題を呼んだMichael Kaneko。
2017年のデビューとともに、その心地よくも甘美な歌声はさらなる進化を遂げ、より多くのリスナーのもとへ。活躍の場を広げ、シンガーソングライターとしてより成熟した彼が、今年「CORONA SUNSETS FESTIVAL」にいよいよ初登場。Michael Kaneko自身、出演を切望していた「CORONA SUNSETS FESTIVAL」への思いを訊くとともに、オリジナリティ溢れる彼のサウンドのバックボーンに迫る。

—Michaelさんは4歳〜15歳までアメリカ・カリフォルニアで育ったそうですが、どのような少年時代を過ごしていたんですか?

「オレンジカウンティという場所で育ったんですが、本当にアメリカンな生活をしてましたね(笑)。そこはアジア人が多いものの、僕は白人、黒人、メキシカンの友達ばかりで。当時、自分のアイデンティティは完全にアメリカ人だと思っていました」

—日本人とはあまり一緒にいなかった?

「海外では日本人同士でコミュニティを作っているところが大半だと思うんですけど、僕は父親がちょっと変わっていて。そういったコミュニティを避ける方針だったんですよ。父は僕をローカルのパブリックスクールに通わせ、現地の子供として育てようと思っていたんです。移住したのも仕事の都合とかではなく、僕と3つ上の兄貴をアメリカで育てたいと思っていたみたいで」

—お父さんはどんな方だったんですか?

「ヒッピー的というか……自由人ですね。思ったことをやっちゃう人。日本では普通に仕事をしていたのに、突然辞めてアメリカに移住するような(笑)。アメリカでは最初寿司屋でバイトをし、やがて自分の会社を立ち上げて」

—それはどんな会社?

「インポート&エクスポートですね。それこそ1990年代はAmazonなんてないし、日本に海外のものが少ないときにアメリカで商品を買い集め、日本に送るサービスをしていました。そこで11年間働いて、普通だったらグリーンカードを持ってもいいはずなんですけど、ビザだけで暮らしていて(笑)。そんな父親だったからこそ僕も自由に育てられました。兄の影響で5歳からサッカーを始め、その後もスポーツばかりやっていましたね」

—そこからなぜ音楽の道に? 何かきっかけがあったんですか?

「家にギターがあったんですよ。兄貴が触っていた時期があって。それで僕も中学生のころはちょっとだけ弾いたりしていました。そして、15歳で日本に帰ってきたんですけど、そのころはプロのサッカー選手を目指していて。でも、急に日本に戻って、当時は日本語も話せなかったし、自分は完全にアメリカ人だと思っていたのですごくカルチャーショックで。サッカーも突然辞めたくなって、何もしていないときに母親から何かやったらって言われ、ギターを習い始めたんです。そしたら高校時代は完全にギターばかりに……」

—家にあったからとはいえ、なぜそこでギターに?

「もともと音楽はずっと好きでした。カリフォルニアって完全に車社会で、常にラジオがかかっているんですよ。ラジオで毎日音楽を聴いていましたし、父もロックが好きでした。特にイーグルスやビートルズとかですね。当時はアメリカのトップ40も聴いてましたけど、父の影響もあってクラシカルなロックがスゴく好きで。環境的には昔から音楽が近くにあったんです」

—カリフォルニアから帰国し、日本では湘南に住んでいたそうですが、どちらも海の近く。やっぱり海が好きなんですか?

「物心がついたときから、海は当たり前のように近くにあるものって感じですね。すごくホームな感じがしますし、一番リラックスできる場所かもしれない」

—制作に行き詰まったりしたときに海に行ったりとかします?

「しますね。今は東京に住んでいますが、実家で暮らしていたときは普通にギターを持って海に行ってました」

—そういった経験は自分の音楽に影響していますか?

「僕は屋外が好きで、よくランニングをしながらいろいろ考えたりするんですけど、その時間が結構大事だと思っていて。音楽って今はパソコンの前で作ることが多いと思うんですけど、僕はやっぱり外に出て、いろいろな経験をして、それが音楽の糧になると思うんです。ミュージシャン仲間と話していると、たまに曲が降りてきたとか聞きますけど、僕はそういった経験が一切ない。むしろ、走ったり、誰かと話したり、お酒を飲んだり、いろいろな経験をすることが大事だと思っています」

—海や自然といったものが楽曲に大きく影響しているのかなと思ったんですが。

「それはあると思います。僕は音楽を英語で作っているんですけど、“自然”に近い言葉を入れたりするのは好きですし。例えば、“Separate Seasons”という曲では、『季節』や『水』、『風』といった言葉をポエティックに使っていたり。ただ、それは意識してやっているわけではなく、あくまで自然に出てくる言葉だと思います」

—「CORONA SUNSETS FESTIVAL」は“海を守る”という理念のもと“フリープラスティック宣言”をしています。これは、コップやストロー、ケータリングなど全てにおいてプラスティックを使わない、ブランドとして海を大切にするという意思表示なんですが、Michaelさんは何かそういった活動をされていますか?

「父親が今、葉山でカヌークラブをやっていて、そこで僕もカヌーをやって、ビーチクリーン活動などにも参加していました。そのときも海にプラスティクが浮いていることは感じていました。東京に住んでいると、ある意味ペットボトルが落ちていることに違和感を感じなくなってしまうんですが、向こうではそれがすごく目立つんですよね。それだけにカヌークラブとしてもゴミはしっかりと捨てることを意識していて。海の近くに住んでいる人は、そういうことを日常的に意識している人が多いかもしれないですね」

—影響を受けたアーティストはいますか?

「たくさんいるんですけど、いつも言っているのはジョン・メイヤー。彼のことはギタリストとしてもソングライターとしても本当に大好きで。その他にも、それこそスティーヴィー・ワンダーやエルトン・ジョン、ビリー・ジョエルなんかも好きです」

—ジョン・メイヤーのどんなところに惹かれますか?

「ギターを弾きながら歌って、作曲もできる。全てが完結できるそのスタイルですね。僕はアーティストとして、ちょっと日本人らしくないところを出しているというか、出てしまっているというか、あくまで自然になんですけどそういう部分があると思うんです……最近友達と話していて気付いたんですが、やっぱりアメリカ人のようなんですよね(笑)。写真を撮るときも日本人は笑わない人が多いですよね。日本人の友達に聞くと、昔から笑わないものだからって言ってましたけど、海外で育った僕からしてみれば写真を撮るときは絶対に笑わないといけない。そう教えられてきたんですよ。そういう些細なところからも外国人っぽいのかなって思っていて」

—その他にも日本の文化で不思議だなって思ったことはあります?

「結構あります。意図してやったことではないけど、日本人の常識がわからずに怒られたこともありますし。それは苦労する部分でもありますが、日本で活動する上では仕方のないことですし、少しずつ直してます。ただ、アーティストとしては今のままでいたいですね。敬語とかも難しいですよね……基本“です”“ます”を付けてやりすごしてますけど(笑)」

—逆に、日本人の感覚ではないからこその強みはありますか?

「音楽に関しても英語を話せることは大きなメリットだと思っていて、メロディを書くときに英語で書くか、日本語で書くかでは全然違うと思うんですよね。ひとつのコード進行に対して生まれてくるメロディが違うと思うし、それは自分にとっての武器になるかなと」

—やっぱり、日本人らしいメロディがあると。

「僕は曲を書くときに、歌詞ができていない状態でも英語で言葉を当て込んで歌んですよ。それを聴き直して、その言葉を歌詞に入れたりもするんですけど、僕はそうした言葉からメロディが生まれてくるのかなと思っていて。きっと、日本語で歌っていたら、違う雰囲気の曲が生まれると思います」